アルゼンチンは難解な国。ある一曲の歌詞に歌われているように、その歴史は「パンチとビンタの末に」作り上げられた。 アメリカ大陸の南、アンデス山脈の東に、イタリアとスペイン、ヨーロッパからの大勢の移民の到着と共に築き上げられた。 ブエノスアイレス港の付近に移民たちは住みつき、ヨーロッパと南米土着の先住民族コミュニティーが混ざり溶け合い、アルゼンチンのアイデンティティーのタンゴは生まれた。 タンゴの旗手にはアニーバル・トロイロ、カルロス・ガルデル、ロベルト・ゴジェネチェ、アストル・ピアソラ、エンリケ・サントス・ディシェポロ、オメーロ・マンシ、オラシオ・サルガン、ルーベン・ホアレスなど、有名な名前が揃う。 ブエノスアイレス市の南にあるラ・ボカ地区にイタリア系移民が住みついた。アルゼンチンの最大のサッカークラブ、ボカ・ジュニオルズを創設したのも、イタリア人、ジェノバ出身の男たちだった。アルゼンチンに着いてからのジェノバなまりのイタリア語が変わりに変わって、今ではボカ・ジュニオルズのサポーターのことをシェネイセスと呼ぶ。 カラフルな街並みのラ・ボカ地区は観光客にも大人気。そのラ・ボカ地区は、現在のアルゼンチンの音楽シーンを担うアーティスト、トゥルエノを生み出した。 トゥルエノ(本名 マテオ・パラシオス・コラシーナ)は現在21歳で若い世代より絶大な支持をうけている。 ボカ・ジュニオルズのサポーターで、生まれ故郷に深い愛情を抱く。 リオネル・メッシが登場する前までは、世界1のサッカープレーヤーだったディエゴ・マラドーナも死ぬまでボカ・ジュニオルズの熱狂的なサポーターだった。 ラ・ボカ地区があるブエノスアイレス市の南部は貧困層が目立つ場所だ。そこにボカ・ジュニオルズのスタジアム、チームカラーのブルーとイエローで彩られたラ・ボンボネーラは建つ。観光客に大人気の地区でもあり、アルゼンチンを代表する画家の1人、キンケーラ・マルティンもラ・ボカ地区を愛した人物でもある。 アルゼンチンに着いた移民により作られた町で、当時の住居、長屋の集合体は現在、民宿となっており、観光客に人気。そこで、トゥルエノはアメリカの国営ラジオNPR制作のシリーズに出演した。 トゥルエノは父親のウルグアイ人のラッパーのmcぺリグロ、本名ペドロ・パラシオの影響を受け、音楽界にデビュー。 手掛ける歌詞のほとんどが日常生活、生まれ故郷を歌ったもの。彼自身は自分のアイデンティティーはブエノスアイレス市のコムーナ4にあると明言している。ラ・ボカ地区、バラ―カス地区、パルケ・デ・ロス・パトリシオス地区、ポンページャ地区がコムーナ4を構成してる。 […]
アルゼンチン国営ラジオ放送局サンガブリエル大天使支局LRA36 に新たな短波放送機が、ハビエル・グラッツさんより寄付され、そのための記念行事が去る月曜日ブエノスアイレス市内で行われました。ホルヘ・タイアーナ国防大臣、アルゼンチン軍南極特別部隊のエドガル・カランディン大佐、アルゼンチン国営テレビ・ラジオ放送局のロサリオ・ルフラーノ代表とアルゼンチン国営ラジオ放送局のアレハンドロ・ポント・レシーカ代表が参列しました。南極圏に駐屯するアルゼンチン軍が行う科学・技術研究の鍛錬の賜物が国内だけではなく、国外にも伝えることが可能になります。 タイアーナ国防大臣は南極からの放送を聴けるということは愛国心啓蒙を意味するとのべ、またルフラーノ代表はアルゼンチン国営テレビ・ラジオ放送局は陸、海、空のすべての空間での放送が可能となったと語りました。 カラディン大佐は南極圏でのアルゼンチン主権主張に大きく貢献すると示唆しました。 またこの記念行事はアルゼンチン国営ラジオ放送局の全国網でも同時中継され、ポント・レシーカ代表、アドリアン・コロルRAE代表、RAEイタリア語番組担当で今年の初め南極よりのニュース番組放送に貢献したマルセロ・アジャラさん、アルゼンチン国営ラジオ放送局の2人のキャスター、マリオ・ジョルジさんとフェデリカ・パイスさんによって放送されました。 サンガブリエル大天使支局は1979年の10月20日開局され、以来途切れることなく、南極から情報を発信し続けています。そしてアラスカ、アイスランド、日本など、世界各国で聞かれています。