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短波放送とDX

アルゼンチンのニュースで初めます アルゼンチン通信管理局Enacomは2021年第102決議書により、カタマルカ州、チュブット州、メンドーサ州、サンタ・クルス州、サンティアゴ・デル・エステロ州とトゥクマン州でのFM放送局開局認可のための公開入札を発表しました。 アルゼンチンでは第26.522法令により、衛星放送以外の通信放送のライセンス獲得は公開入札で行われると制定されています。 メンドーサ州に関する参加希望者は来月3月15日から19日まで、サンタ・クルス州に関する参加希望者は22日から29日まで、サンティアゴ・デル・エステロ州に関する参加希望者は30日から4月の7日まで、チュブット州関する参加希望者は4月8日から15日まで、カタマルカ州に関する希望者は4月19日から23日まで、そしてトゥクマン州に関する希望者は4月26日から30日まで、それぞれのオファーと見積書提出可能となっています。     ついでメキシコのニュースです 教育ラジオは首都メキシコ・シティーでの周波数1060kHzAM放送のライセンスを先月1月20日取得しました。このことにより教育ラジオはFM放送周波数96,5mHz とAM放送周波数1060kHZをもって、3千万人のオーディエンス獲得となります。 また女性の権利専門ラジオ、“Violeta Radio” は教育ラジオのアンテナを使用しているため、これまで以上にオーディエンス拡大も見込まれます。 ロシアのニュースです 米国政府のサポートを受けているフリー・ヨーロッパ・ラジオ、またはリバティー・ラジオがロシア政府により、罰金を課せられました。 ロシアの通信管理局Roskomnadzorにより海外特派員法に違法しているとされ、15万ドルのペナルティーを課金されました。“ボイス・オフ・アメリカ”の姉妹局とみなされ、初めての罰金となります。この課金を不服とし、起訴すると発表されています。 ハンガリーに移ります インディーラジオの放送ライセンスが一方的に剥奪されたことをうけ、欧州連合はハンガリー通信管理局NMHHを糾弾しました。 NMHHはフィデス政権によりコントロールせれており、2月14日、 Klubrádió(クラブラジオ)は同国の通信メディア法に違反するとして、放送ライセンスを更新しないと発表しました。 ハンガリー通信管理局NMHHは2011年当時のビクトル・オルバン政権により制定されました。クラブラジオは2回必要書類の提出を怠ったと報告しています。 クラブラジオ幹部は、現在の与党よりのラジオが同じような違反を犯した時は、大目に見てもらっていると反論しています。 オーストリアのウィーンに拠点を持つ国際プレス研究院は、欧州の他の5つの報道機関と共に、フィデス現政権のクラブラジオを沈黙化させるための横暴な対応であると声を上げています。 ハンガリーのジャーナリスト連合は、現在はクラブラジオが唯一政治の干渉を受けていないメディアだと声明を出しています。 NGO国境なきリポータたちによるとオルバン現政権就任以前はハンガリーは、報道の自由の国ランキングで180カ国内23位だったのが、現在は89位まで落ちています。 最後に中国と英国のニュースです […]

アルゼンチンの言い伝えと伝説

“フトレさん”はアンデス山脈沿いのワイン産地としても有名な、アルゼンチン西部に位置するメンドーサ州でよく聞かれる言い伝えです。 その始まりには2つの説があります。1つ目は酔ったガウチョ(牧童)が線路で眠りこけてしまい、列車の車輪が断首してしまったという言い伝え。もう1つが19世紀に全国で広がっていた鉄道建設で線路を引くための現地労働者に毎月支払いに来ていたふんぞり返って威張っていた英国人の現場監督が首を切られたという説です。Mr.Fosterフォスターがスペイン語でなまりになまってフトレとなり、フトレさんと呼ばれる様になりました。アンデス山脈の向こう側のチリでは、Mr.Foster、“フトレさん”は冷徹で何事にも動じない人を指す言葉として使われています。   英国人の現場監督だったという説によると、寒い大吹雪の夜、大雪から逃れるため山の麓の洞窟に入り込んで、そこで泥棒に遭い給金を払うために持っていた現金と持ち物全て盗まれ、そして止めとして首を落とされ、成仏できないまま漂う霊となってしまった、と言われています。 フトレさんは厳冬の風と寒さが厳しい夜、土地勘が無い旅行者や、酔っぱらいの人の前に現れると言われています。しっかりとした足取りで、びしっと決めたスーツ姿で、自分の頭を片手に乗せ、メンドーサ市への道を知ってるかと聞いてくるそうです。労働者への給金を払うためか。そして質問を発した後、また暗闇の中に消えていくそうです。そしてもう再び、メンドーサ市へ行く道を聞くために、永遠に暗闇の中から現れては消えてゆく、行場所を失った霊となって。 Mr.Foster、“フトレさん”は実在した人物で、ラス・クエバス村で実際のところ強盗に遭い、殺されてしました。ウスパジャータ墓苑に埋葬されています。       日本語訳・ナレーション:植田敬子 編集:ファビアン・パニッシ ウェブサイト:フリアン・コルテス 制作・シルバーナ・アベジャネーダ

短波放送とDX

2011年にユネスコより認定され、そして最終的に2012年に国連より2月13日は“世界ラジオの日”として制定されました。 放送関連の国際機構らの連帯を深め、世界中の放送メディア、ネットワークが市民に情報アクセスの権利、表現の自由と性別の平等を啓蒙することが記念される日となります。 デジタル化時代においてもラジオ放送は進化を続けているので、オーディエンスが一番多いメディアとなっています。全ての人々がアクセスできるメディア、そして考えを発信できるメディア、最も民主主義に叶ったメディアと言えましょう。 ラジオ放送は110年以上の歴史を誇り、国連“世界ラジオの日”制定より10周年を迎える本年、ユネスコは世界のラジオ放送局に祝っていこうと呼びかけています。   世界の短波・中波ラジオ放送についてのニュースです ベネズエラはアンソアテギ、エル・ティグレより放送されている海賊版放送局、オンダ・コルタ・ベネズエラ・ラジオ、毎日24時間、周波数6250kHz、出力50ワットで放送されています。現在同国の放送協会に認可申請中で、試験段階の放送でFMベネズエラ93,7の再放送を行っています。 ヨーロッパではラジオの閉局が発表されるなか、スペインとオランダで新たな開局ニュースがあります。偶然なことに、両局とも周波数918kHzとなっています。 1950年放送を開始し、長い間親しまれてきた、スペインでは伝説的な存在のInter Radio,出力100kwで復活したと言われています。 オランダではCarolineRadioの威光を得て、80年代Ross Revengeという船舶上より963kHz 、出力50kwで放送されていたMoniqueRadioが復活しました。1987年放送は中断されていましたが、昨年末、12月16日、創立者、フレック・ボランドさんの尽力により、返り咲きを果たしました。 ウェブサイト: http://www.radiomonique.am ボりビア宇宙局のイバン・サンブラーナ代表はリモート授業を広めるため、都市部から離れた地域の自治体に対し、インターネットを特別料金で提供すると発表しました。 コロナ禍で学校が閉鎖され、自宅で授業を受けるため、このニュース以前にも、授業を全国に放送するためテレビチャンネルを36チャンネルまで増設すると、ボリビア宇宙局は発表しました。 新型コロナウィルス感染症第2波が見られるボリビアでは2月1日より、テレビとラジオで授業を始めるという新学期が始まりました。 アメリカのジョー・バイデン大統領政権は米国グローバル・メディア・エージェンシーUSAGM代表に台湾出身のボイス・オフ・アメリカの元ジャーナリストのケル・チャオ氏を、そして副代表として中近東放送ネットワーク元会長のブライアン・コニッフ氏をそれぞれ任命しました。 ボイス・オフ・アメリカの外国語放送で働いていた30を超えるジャーナリストたちの就労ビザがこの7ヶ月間更新されることはなく、職を失っているという厳しい現実が前政権から重い遺産として、新たな執行部に課せられます。 バチカン・ラジオは1931年の2月12日、ローマ法王ピオ11世が有名なラジオメッセージ “Udite o cieli” (聞きなさい空よ)で開局となりました。カソリック教会の教えを全世界に広げるという使命を持って生まれたラジオです。 グリエルモ・マロコニが手掛け、イエズス教会のジュセッペ・ジャンフランチェスキ神父に引き継がれました。 短波放送は未だに混線事態より逃れており、出力が低くても意外に受信が良好となっており、バチカンラジオで法王の肉声を初めて聞いたという人も沢山います。 […]

2月8日ー14日週間特別番組   開始あいさつ    国内新型コロナウィルスニュース アメリカ大陸のニュース 今日の科学 DX情報番組     終了

2月13日ユネスコより記念日認定

多様性を祝い、民主主義の土台となる議論を啓蒙するプラットフォームがラジオです。世界レベルでみても一番使用者が多いメディアとなっています。世界中のどんなところでも音波は届き、社会の多様性に応対するメディア。誰でも表現の自由を謳歌し、表現者、または情報の受け手となれる舞台がラジオです。 様々なコミュニティーに対応し、多様なプログラム、コンテンツ、視点、を提供するメディア、それがラジオです。 ユネスコは2月13日を ”世界ラジオの日”として制定しました。デジタル化の技術の登場によりラジオは衰退すると予言されていましたが、反対にラジオ放送は進化し続けており、どんな世界の片隅でもラジオは聞かれています。 本年度のテーマは”新しい世界、新しいラジオ”で、常に変化している社会と連動してその変化を伝えるラジオの役割となっています。 アルゼンチンでは昨年2020年、国内で初めてラジオの放送が行われて100周年という佳節を迎えました。そして本年アルゼンチンの国際放送、ラエ、世界に向けてアルゼンチンは開局より63年を迎えます。スペイン語、英語、イタリア語、ポルトガル語、フランス語、ドイツ語、中国語と日本語、8の言語で世界に向けて発信し続けています。 https://es.unesco.org/commemorations/worldradioday

ブラジル政府は、リオデジャネイロにラテンアメリカ最大規模のウィルス感染症予防ワクチンと治療薬の生産プラント建設のための入札を発表しました。予算は34億レアル (約6億3000万ドル)で建設着工は本年度下半期が予定されています。 ラテンアメリカ諸国の中では新型コロナウィルス感染症患者数が一番多い国ブラジルでこの偉業はなされます。       エドゥアルド・パスエロ保健省大臣は新型コロナウィルス感染症だけではなく、他の感染症のワクチンや治療薬も生産されると語り、リオデジャネイロ西部のサンタ・クルスに総面積58万平方メーターの健康バイオテクノロジー産業コンプレックスが建立されると述べました。 年間1200万回分のワクチンとバイオ医薬品生産が見込まれています。 これまではラテンアメリカ最大規模の医療研究機関、ブラジル保健省の管轄下にあるFiocruz基金がアストラゼネカ製薬会社とオックスフォード大学の提携を受け、1000万回分の新型コロナウィルス感染症予防ワクチンを生産していましたが、それを大きく上回る生産量となります。

2020年12月度のCNNスペイン語放送のリポートによると、ラテンアメリカ地域では6カ国だけで新型コロナウィルス感染症予防ワクチンの治験が行われ、アルゼンチンもそのうちの1国となっています。これまで8のワクチン、そして22の治療薬の治験が認可されています。 同リポートではアルゼンチン感染症学会議長・ウエスペッド基金代表のオマール・スウェッド氏を紹介し、その中でスウェッド氏がアルゼンチンの治験に対するするメリットとして、研究の機構の充実、WHOのリフェレンス・オーソリティーの認可があるANMATのような監査管理機構があることを際立たたせています。       現在国内では6のワクチンの第3段階の治験が実施されています。まず2020年7月に最初に認可がおりたワクチンは治験第3段階を終えたファイザー社とBionTech社のもので、次いで8月にはEleaPhoenix社の中国のワクチンSinopharm,そして9月にはJohnson&Johnson社のJansenワクチンとなっています。 そして今年に入ってから、2の治験が認可されました。待たれていた効果が出ずに キャンセルされてしまったMerck, Sharp & Dohme (MSD)社とBayer社のCureVacです。 昨年の10月にはスペインのワクチンRutiが第2フェーズの治験が認可されました。

心に残る唄

1月25日はサッカー界の大スター、ディエゴ・アルマンド・マラドーナさん逝去より1ヶ月を迎え、彼を称える曲が巷に溢れます。 “神のハンド”はアレハンドロ・ロメーロ作詞・作曲で、27歳で自動車事故で亡くなった、コルドバ州出身のコルドバ州独特の音楽ジャンル、クアルテトの歌手、ロドリーゴが歌い、大ヒットした曲です。クアルテトは移民として同州にたどり着いたイタリア人とスペイン人が作りあげた独特のリズムを持つ音楽です。 社会の底で生きる人々の喜び、悲しみ、苦しみを表現し、社会にある格差が垣間見え、ある意味音楽としては下のランク付でした。 マラドーナさん自身の言葉で言うと、彼のことを一番うまく表現している曲で、数多くあるマラドーナ賛歌の中でも一番のお気に入りとのことでした。生まれ育った貧困状況、コカイン依存症の苦しみ、そしてピッチ上で見せた魔法のようなサッカーの技のあれこれなど、誤魔化すことなくダイレクトな言葉で伝えている歌詞です。 “神のハンド”とは、アルゼンチンが優勝した、1986年のメキシコで行われたサッカーワールドカップ、対イギリス戦でマラドーナさんがマークしたアルゼンチンの2点目のゴールのことです。マルビーナス諸島紛争でアルゼンチンと英国間にはライバル意識が強く、試合に勝利し、旧約聖書にある巨人兵士ゴリアテを倒したダビデのごとく、英国を倒したアルゼンチンの顔としてマラドーナさんが有名になりました。 長い間続いた軍事政権、マルビーナス諸島戦争、そして長引く経済危機と暗いニュースがアルゼンチンを覆っていた時、彗星のごとくマラドーナさんの ”神のハンド” ゴールが社会を歓喜で照らしました。 この曲を初めてマラドーナさんが聞いたのは、2000年、コカイン依存症リハビリのため滞在していた療養先のキューバでした。テレビ番組ベルスス(Versus)収録のため、歌手のロドリーゴさんが直接キューバまで出向き、歌い上げました。 マラドーナさんは、大感激し、ロドリーゴさんに近づき この歌、最高だ!と述べました。では、俗世の最高の賛歌と呼ばれる “神のハンド”、最初から最後まで、どうぞお聞きください。 ラエ、世界に向けてアルゼンチン 心に残る唄 今日は “神のハンド” お伝えしました。       日本語訳・ナレーション: 植田敬子 制作:シルバーナ・アベジャネーダ ウェブサイト:フリアン・コルテス 編集:ファビアン・パニッシ

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