Patagonia Rebelde (パタゴニアの反乱)より100周年を迎えて語る今 懇談会 ラエ、世界に向けてアルゼンチン

オスバルド・バーイェルと無名のものたちの尊厳

1人のサンタ・フェ州の典型的な白人の容貌をした男(グリンゴ)が、アルゼンチン・パタゴニア地域での移民、先住民族や現地人の農民達の労働状況の向上のため立ち上がった農民一揆に光をあてました。アルゼンチンの首都・ブエノスアイレス市より、遠く南に2.200キロ離れたパタゴニア地域の一角、現在のサンタ・}クルス州で 外国人の大地主に対し、ほぼ奴隷制度に置かれていた農民達は労働状況の向上を求め、抗議し、その結果、1.500人もの農民たちが射殺された事件です。

アルゼンチンのジャーナリストで歴史研究家のオスバルド・バイェール氏(1927年−2018年)はその生涯の大半をこの虐殺事件解明のための調査に捧げました。その全貌を表したのが バイェール氏渾身の著作 “悲劇のパタゴニアの復讐者”で、後に“パタゴニアの反乱”として映画化されました。アルゼンチン映画の歴史上アイコンとして、今でも語り継がれています。

Impulsan un homenaje a Osvaldo Bayer | Diario La Portada

大地主による搾取に反旗を翻す出来事として最初、始まりました。1920年末より、反対運動は高まり始め、1921年、当時の急進党のイポリト・イリゴージェン大統領により送り込まれたエクトル・ベニグノ・バレーラ中尉が指揮を採った銃殺刑が施行され、農民虐殺で終焉を迎えます。

20世紀におけるアルゼンチン国家が犯した最初の犯罪の1つとされています。この事件に関して、様々な調査、様々な報告がなされてきましたが、当時のイリゴージェン政権や大地主の責任については寛容な視線が注がれていました。

この事件解明のため調査に奮闘したバイェール氏はTripleAというペロニズム右派の武装組織より脅迫などの迫害をうけ、身の危険を感じたバイェール氏は家族とともにドイツに亡命します。1976年の軍事クーデター前のことでした。

Murió Osvaldo Bayer | Literatura

パタゴニアの反乱より100周年を迎え、アルゼンチンの海外向け放送局、ラエ、世界に向けてアルゼンチンは、アルゼンチンだけではなく、欧州の国々をも巻き込む 数多くの農民が犠牲となった銃殺事件の原点となるこの史実について、慰霊と事実解明の意味を込めて、語り合う、懇談会を開催します。

12月1日(火)アルゼンチン時間午前11時、UTC時間14時より、ユーチューブの Canal de Youtube Rae-Argentina al Mundoで以下のゲストを招いて懇談会を行います。(敬称略)誰でも無料で参加できます。

・アナ・マリーア・カレガ − 心理学者、ラテンアメリカ圏人権問題識者

・ディアナ・レントン − 人類学者、人類虐殺・先住民族政策研究ネットワーク創設者、著作“アルゼンチンの惨殺の歴史”バイェール氏と共著
・ベイヌス・スムックレル −人権問題専門弁護士、アルゼンチン法曹委員会元メンバー、米州法曹協会代表、マルティネスデオス一族がバイェール氏に対して訴訟を起こした際の被告人バイェール氏側弁護士
・カルロス・コベロ − サンタ・クルス州 ストライク事件風化防止委員会、及びパタゴニア・ストライク事件委員会創設者・識者
・ブルーノ・ナポリ −歴史研究家、バイェール氏創設・機関紙ラチスパ(エスケル市で1958年から59年まで刊行)収集家
・エステーバン・バイェール − ジャーナリスト、ドイツ・ハンブルグ在住の作家

Conversatorio “Osvaldo Bayer y la dignidad de los nadie. A cien años de la Patagonia Rebelde” “オスバルド・バイェールと無名のものたちの尊厳 Patagonia Rebelde (パタゴニアの反乱)より100周年を迎えて語る今 懇談会”

12月1日(火)アルゼンチン時間午前11時、UTC時間14時より、ユーチューブの Canal de Youtube Rae-Argentina al Mundo。一般無料公開。

コーディネート:ラエ代表 アドリアン・コロル
制作:シルバーナ・アベジャネ−ダとフリアン・コルテス
協力 謝意:ラウル・エルインディオ・フェルナンデス